子宮頸がん 闘病記録

あとで振り返るために書いておく

初めての放射線、抗がん剤

採血などを経て、初めての抗がん剤放射線へ。

出血がひどかったため、輸血が必要になる。輸血を完了してから放射線抗がん剤だと時間が間に合わない!ということで、同時進行でおこなうことに。
車椅子で輸血のパックをつなげながら放射線へ。

 

放射線から膀胱を守るため、1時間前から蓄尿

輸血のパックを装着。

とにかく痛い。こんなに痛い?!!点滴で痛いって初めてなんですけど!!???ってくらい痛い。

 

初めての放射線は「え?これで終わり?」「ちゃんとできた???」というくらいあっけなかった。

 

抗がん剤の投与にうつる。

生理食塩水>吐き気どめ>抗がん剤(シスプラチン)>生理食塩水

このワンセットで、所要時間は約6.5時間。

 

この日はいろいろあったので、全部のコースが終わったのが、20時くらい。

外来に切り替えたあと、こんなことになったらコトだな、と思ったが、今回はたまたまえらい時間がかかっちゃっただけらしい。

 

出る人はすぐに出ちゃう副作用も、幸いわたしはなんともなく、夕食も軽く食べて、就寝ができた。

 

放射線抗がん剤を体に入れてしまったら、もう2度と、元の体には戻れないんだな、とかなり感傷じみていたけど、もう4cmの腫瘍がある時点で普通の体じゃないんだから、もう諦めるしかないんだよな、という気分になった。

 

悲しくなったり不安になったりするとつい、オンラインで体験談や医療情報を探してしまうけど、民間療法を強く勧めるものや、抗がん剤の毒性、放射線の危険性などのネタばかり。体験記も、本当にひどいものばかりで、最終亡くなってる方のものも多い。

食事も病気に気付いてから無農薬や添加物、体に良いとされるものを必死に改善して取り入れ始める方も多いようで、本当に藁をもすがる気持ちで命を守ろうとしているんだな、と...

ただ、食事に関してはどんだけクリーンなものを摂取し続けた人生の人でも、がんになる人はなるし、そんなの遺伝子情報の当たり外れでしかないよなと思う。

だから、散々何十年も気にせず食べてきたものを、病気になったからと急に切り替えて食べなくなっても、数年で取り返すことなんてできないので、そしてどう転んでも「今まで通りの人生」を進むことはできなくなったんだから、その分、「前は楽しんでたこと」を捨てるんじゃなくて、「前楽しんでたこと」を継続して楽しめる選択肢を、わざわざ諦めることないんじゃないかなーと思った。

 

ちなみにわたしは、添加物や農薬をすごく気にする家庭で育って、大人になって自炊する今も、有機野菜やたまご、あぶらなど全部気にして揃えている派で、こんなんでもがんになっちゃったからね。

がんになったあと、急にこういう生活に変えたって、変わらないんじゃないかなーと思ったりしたんですよ。

そりゃ、相当な不摂生な生活や無頓着な食事してた人なら、改善の余地はかなりあるけども。

 

ただひたすら真面目に医者の言うこと聞いて真面目に治療を受ける、に限る。

お医者さんや病院が100%ではないので、これも巡り合わせが悪かったら、危ない話なんだけど。

全部やってみて、治ったら儲けもの。再発しちゃったら、それはもう運が悪いとしか言えないんだよな。

 

という気持ちになった、1回目の放射線抗がん剤治療の夜でした。

 

 

 

本来の入院開始日

個室から引越し。

大部屋ではなく、ちょっとだけいいお部屋を希望しており、その要望が通る。

 

独り言がものすごいおばあさんと、かなり具合の悪そうなガン患者の方が同室。

これまで個室だったので、物音や他人の回診の内容が筒抜けな具合に戸惑う。

 

尿カテーテルが外れる。

これが外れるだけでも、本当生き返る。

多分、具合悪くない人もカテーテル入れた生活したら、一気に病気になるんじゃないかってくらい不快だしきつかった。

 

ベッドから降りる許可が出る。

ティッシュすら自分で取れなかったbeforeがつらすぎて、天国に感じる。

看護師さんも、まさかカーテン閉めてくれ、なんていう用事を言いつけられるなんてそんなの自分の仕事じゃない!って思うだろうなと余計なことを考えて、何も頼むことができず、苦しい数日だった。

実際は看護というか介護というか、日常生活のサポートは看護師の仕事には大いに含まれていることだろう。

素人が浅はかに他人の専門に余計な想像をめぐらせるもんじゃないな。

 

自分にはお姫様というか殿様の生活はできないな、と思った。

緊急入院

24日から入院が決まった。月から金、放射線を受け、水曜は抗がん剤放射線

この習慣を、2カ月くらい続けるとのこと。

放射線抗がん剤を初めて受ける時は入院している方がいいから、とのことで計画入院することに。

 

と、思っていたら。

 

22日22時頃、急にナプキンが重く感じる。(不正出血は続いていたので常にナプキンをしてた)

トイレに入り、様子を見ようとしたら、途端に大出血開始。

 

おしっこのようにじゃーじゃーと鮮血が止まらない。約20分間。トイレを何回流しても、どれだけトイレットペーパーでおさえても、流れ続ける血液。

 

怖くなり、救急車を呼んでもらう。

 

幸い、救急車の搬送先は入院予定の病院にしていただけた。

カルテもあり、安心。

深夜3時くらいまで処置が続き、そのまま緊急入院。

 

何も用意せず出てきてしまったので、不安しかない。

コロナ期間中ということで、緊急入院時は個室に差額なしで隔離されるとのこと。

高すぎて入れないと思っていた個室の体験ができたのは、少しラッキー。

 

止血のために大量のガーゼが詰められ、尿カテーテルを入れられ、

手の甲には点滴。

ベッドから一切降りることを禁じられる日々がスタート。

 

後日わかったが、腫瘍に張る動脈が切れての出血の模様。

この出血は、だいぶ長く続く。

治療計画がどんどん進んでいく

自分の気持ちをよそに、ガンはどんどん進行していくそうで、とにかく早く計画をたてよう、と、さまざまな科にて先生に治療の計画を説明される。

 

受け入れるしかない。

 

卵子を凍結して残しておくのはどうだろう?と思いつくも、排卵までの時間治療を待って進行させるのは全く賛成できない、

子宮が使い物にならなくなるため代理母が必要になるが日本の法律では現在NGだし現実的ではない、

そんな手段のために命縮めるのは全くおすすめできない、ということで、もう、全ては自分の命を最優先にしていこう、ということになった。

 

放射線治療は外部から照射するものと、膣から棒状のものをぶっさして腫瘍に直接照射する2パターンを受けるそうだ。

土日祝を除く毎日、外部から照射して腫瘍を小さくして、後半、膣から直接刺して最後のとどめをするらしい。

この、膣からの照射がめちゃくちゃ怖い。

稀に、膣からの棒を刺せない患者さんもいるそうで、サイズの確認などで検査のため1度ぐいっと棒をつっこまれたのだが、吐き気がするほど痛む。思い出しても怖くなるくらい痛い。

腫瘍を直接触っているから、というのもあるそうだが、あれだけの痛みを毎週毎週耐えられるだろうか....

いよいよ本格的にガン患者認定に

GWにPET/CT、MRI、他もろもろの検査を受け、この日主治医となってくれた大学病院の先生より診断がくだる。

 

子宮頸がん、ステージはぎりぎりⅠ。

見る人によってはⅡというレベル、でも転移はなし。

腫瘍は4cmとのこと。

 

手術か化学療法か。

手術だと体に大きな負担があり、化学療法は同じ程度の治療効果があるとのこと。

先生より化学療法を勧められる。

 

だけど、何しろガンと言われてからまだ2週間も経っていない自分には、

何が最適なのかさっぱり理解できず、頭が真っ白。

取り急ぎスマホで調べた範囲では、悲惨な体験記しか見つからず、みな死亡例ばかり。

だったら治療など受けず、苦しまないでそのまま来る時を待つのもひとつなのでは、と思い詰める。

 

放射線を受けると、卵巣の機能が停止するんだそうだ。

生理も止まる。

更年期障害も始まる。

 

子供なんて考えてなかったくせに、作らないではなくできない、ということになった途端、なぜこんな絶望するのか。

生理なんて毎月面倒だと思うことしかなかったのに、なくなるといわれてなぜそんな悲しいのか。

 

説明がつかない気持ちで涙が止まらず、先生と看護師さんに迷惑をかけた。